「森野旧薬園」へ!薬草のまち奈良県宇陀市で日本最古の私立薬草園を体験

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こんにちは、キョウです。先日、薬膳仲間のリョウコさん(@tyorinko)達と奈良県宇陀市に行ってきました!奈良についてほとんど知識のなかった私ですが、リョウコさんのお友達にもいろいろと教えていただき、たくさん刺激を受けてきたのでレポートとして残したいと思います。

ちょっと長めのレポートなので、お好きな部分から読んでくださいね。

奈良宇陀地方と薬草との関わり

奈良が薬草にゆかりがある土地であること、皆さんご存じでしょうか?

中でも奈良県の北東部に位置する宇陀地方(現在の宇陀市)は、飛鳥時代から続く薬草のまち。日本最古の朝廷が置かれた地で、中国医学の伝来以降、薬草や生薬との深い関わりのある場所です。

日本書紀によると、大宇陀(おおうだ)は日本で最初に推古天皇が薬猟(くすりがり)を行った場所。宮中行事として男性が鹿(鹿茸…漢方薬に使われる鹿の角)を取りに行っている間、女性は薬草を摘んだといわれています。推古天皇の時代から続く薬の発祥地として、現在でも薬草を活用したまちづくりが推進されています。

宇陀のまちと薬草の関わり

なぜ宇陀が薬草との関わりが深いのか、案内の方が話してくださいました。

  1. 歴史的要因
    もともと医学や薬物は中国から伝わった。仏教と共に奈良に伝来し、民衆の医療として薬草が育まれる土壌ができた。
  2. 地形や気候風土
    宇陀山地に位置するため昼夜の寒暖差が激しく、日照時間が少なめで降水量が多いことが薬草の生育にとって最適だった。享保年間以前、すでに薬草栽培が始まっていて薬用作物の先進地だった。
  3. その他の要因
    宇陀には水銀の鉱脈が地表に現れる場所があり、人が集まる要因となった。万葉集には「大和の宇陀の真赤土のさ丹付かばそこもか人の我を言なさむ」という歌が残っていて、昔から水銀が採れたことがわかる。人の流れがあり流通が安定していた。
江戸時代に宇陀周辺で栽培されていた生薬地黄、当帰、人参、大黄、川芎、紅花、芍薬、白芷、黄芩、牛膝、牡丹、延胡索、貝母、烏薬、玄参、淫羊
山野に自生していた生薬羌活、独活、前胡、龍胆、桔梗、沙参、遠志、山芍薬、葛根

薬のまち・大阪の道修町の少彦名神社

かつて薬種の栽培は農閑期の副業として行われていましたが、徐々に発展。やがて薬種屋が台頭し、奈良の売薬業として発展していきました。集荷した薬種は、江戸時代から薬種問屋が軒を並べる大阪の道修町(どしょうまち)に送られていました。

宇陀のまちと歴史

京都からは近鉄奈良線の特急に乗って榛原(はいばら)駅まで1時間半、そこからバスで移動します。奈良の中でも宇陀はすごく遠いイメージがあったのですが、大阪上本町から榛原までは1時間もかかりません。自然豊かな場所ですが、意外と都会にも近いとわかりました。

榛原から大宇陀まではバスで20分ほど。大宇陀の道の駅で物産を見て回りました。薬草のまちだけあって、当帰や葛などを使った商品がいっぱい!

こちらは「当帰」を使った商品です。

薬膳をする人にも、漢方に興味がある人にもお馴染みの薬草「当帰」は、この地方の名産品。現在、宇陀市では70名余りの生産者さんが大和当帰を栽培しているそうです。

宇陀の街並みがとてもキレイ。昔ながらの商家が立ち並び、まるで映画のセットのようです。

大宇陀の松山地区には約200軒の伝統的な建物があり、重要伝統的建造物群の選定を受けています。

  • ◆宇陀の歴史
  • 飛鳥時代…「阿騎野(あきの)」と呼ばれる宮廷の狩場
  • 戦国時代…「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築く。その麓に栄えた城下町が宇陀松山地区の始まり
  • 江戸初期…織田信長の次男、信雄から4代に渡り織田宇陀松山藩として栄え、「宇陀千軒」と呼ばれるほどの賑わいを見せる。その後宇陀松山藩は幕府領となる
  • 近代…宇陀紙や吉野葛、薬種などの名産品があり、郡の政治経済の中心地、交通の要所として栄える

森野旧薬園は現存する最古の私立植物園

美しい松山地区の街並みを眺めながらしばらく歩くと、薬草園「森野旧薬園」に着きます。

着いてびっくり、入口に「元祖吉野葛」の看板が。全く予備知識もなく行ったので、「えっ!?ここが植物園!?お店では…」と、とまどってしまいました。ここ森野旧薬園は「森野吉野葛本舗」を営む森野家により作られた、現存する最古の民営薬草園です。

森野家は室町時代から葛粉製造を生業としていました。葛粉は山中に自生するクズの根から採れます。

11代目の当主、森野藤助(号:賽郭・1690〜1767)は、山で育ったためクズを探すうちに山野の薬草にも詳しくなったんでしょう。若い頃から屋敷内に薬草や薬木を植えて研究しているうち、徳川幕府の耳に入り、薬草政策に関わることになります。

当時、八代将軍徳川吉宗幕府は、薬物の輸入に莫大な費用をかけていて、それが幕府経済の大きな負担になっていました。また当時は疫病流行や飢饉が重なり、一般庶民に向けた医療の普及の必要性から、幕府の薬草政策の成功が求められていました。

薬種の国産化のため、幕府領内の薬草調査&開発を行う「採薬使(さいやくし)」という役職が発足しました。採薬使は将軍に直接謁見できる立場で、帯刀も許されていたとか。採薬使という役職で、全国を回って社会情勢を報告する役目も兼ねていたようです。その採薬使の一人、植村佐平次の案内人に抜擢されたのが、森野藤助でした。

こんな小説も発見。おもしろそう。

佐平次の採薬調査に何度か随行した藤助さん、その功績を認められて、幕府から貴重な薬草の苗を下賜され、自宅屋敷の庭に植えました。それが森野旧薬園の始まりといわれています。

幕府から下賜された6種の薬木

  • 幕府から最初に下付された6種類
  • 天台烏薬(テンダイウヤク)
  • 烏臼木(ウキュウボク・ナンキンハゼ)
  • 甘草(カンゾウ)
  • 東京肉桂(ニッケイ)
  • 牡荊樹(ボケイジュ・ニンジンボク)
  • 山茱萸(サンシュユ)

その当時、輸入の薬木や薬草は大変貴重なことから、江戸幕府直轄の小石川御薬園だけで栽培されることが多かったようです。藤助さんの場合は幕府から直々に栽培許可が降りたのがすごいですね。

森野旧薬園の中へ

店舗から、門をくぐってお屋敷の中へ。吉野葛本舗といわれるだけあって、中は葛粉製造の現場となっています。そこを通って薬草園へ向かいます。

2002年には近代的設備を導入した新工場へ移っているので、こちらではもう葛粉製造はしていないそうですが、とてもキレイに保たれていました。

葛について

歴史的にも品質でも有名な吉野葛。クズという名称は吉野郡国栖(クズ)からきている説も。葛粉製造には寒涼な水と気候が必要になるため、森野家はもともと吉野にいましたが、より冷たい水を求めて宇陀に移っています。

クズの根を乾燥したものが葛根湯でお馴染み「葛根」です。知らなかったのですが、葛の根がとにかく大きくて太い!地上部分は蔓性なのですが、根がこんなにしっかりしているなんて!1970年ごろまでは吉野で原料が入手できたそうですが、現在は主に九州産だそうです。

案内してくださった方によると、生薬としての葛根と食品としての葛粉は製法がかなり違うようです。生薬としての葛根は熱を発散して冷ます働きがあります。薬膳でも葛粉を使用しますが、何回も洗いをかけて仕上げる葛粉には辛涼解表の働きはないと、薬膳の先生がおっしゃっていました。

葛根

神農本草経の中品に分類されます。葛根の効能は、発汗、解熱。項背のこわばりなどを治す薬理作用は、一成分である「ダイゼイン」によるものと確認されています。中国では花も生薬。「葛花カッカ」といい、乾燥させたものを二日酔いや頭痛に使います。

蔵の中の資料室へ

蔵の中には、さまざまな展示がされています。森野旧薬園の創始者である11代藤助賽郭さんは、60歳で隠居して薬園を見守りながら薬草を写生し、「松山本草」という原色植物画を残しました。資料室ではその複製品などを見ることができます。

松山本草は長年、門外不出であったため存在があまり知られていませんが、植物や動物など約1000種の生物が描かれた貴重な資料です。後の牧野富太郎の植物図鑑などに続く本草書ということで、文化財的意義が見直されています。

ちなみに、こちらは森野旧薬園保存施設のために寄付した方々のご芳名。よ〜く見ると…
津村、藤澤、武田、塩野義…そうなんです。近世より薬のまちとして発展した宇陀は、日本の製薬企業の創始者を多く輩出した地でもあります。ちなみに山田安民(ロート製薬)、笹岡省三(笹岡製薬)も宇陀市出身です。すごいですね。

森野旧薬園の中の植物たち

山からお屋敷を望む風景

森野旧薬園がいわゆる植物園と違うのは、お屋敷の裏の山の斜面に、自然な形で草花がびっしり生えているところ。近代的な植物園ではなく「半自然」という管理方法がなされていることがひとつのポイントです。裏庭のような山の斜面を歩きながら、多彩な草花を見ることができます。

ここからは、園内の薬草をいくつかご紹介していきたいと思います。

紫根(ムラサキ)

紫根は、漢方の塗り薬・紫雲膏(しうんこう)に使われる薬草。とても繊細な性質で栽培が難しいそうです。すぐに枯れてしまうので、薬園の植物管理をされている原野さんに栽培方法を聞きに来る方もいるとか…。

当帰(トウキ)

もともと中国から渡来し、今も奈良で有名な薬草といえば「大和当帰」です。生薬にするのは根の部分。花が咲いてしまうと根がスカスカになり生薬として利用できず、後は枯れるだけなのがちょっと大変。

最近では当帰を育てている薬膳家も増えましたね。葉はハーブ感覚で食べられるので、私も育ててみたいと思っています。花も食べられるそうですが、フラノクマリンが含まれるので、気にする方はご注意を。
※大和当帰は日本の野生種ミヤマトウキを栽培化したものといわれ、戦後は大和当帰の母種が失われたため、現在国産の主流となっているのは北海当帰です。

芍薬(シャクヤク)

芍薬は奈良の気候風土によく合い、宇陀地域で盛んに栽培されてきました。芍薬は一般的に一重の花びらのものが良質といわれます。しかし花びらが多重の「梵天」は例外で、最良品種だといわれます。噂では、輸入の3倍の価格!

牡丹(ボタン)

牡丹と芍薬、見分けがつくでしょうか?牡丹は木のように茎の皮が黒く、ボタンピと言われるように根皮を使用します。一方、芍薬は茎は緑ですが、根がしっかりと張っていて、根の部分を生薬として使います。

白朮(ビャクジュツ・オケラ)

気を補い、体内の水はけをよくすることで知られる白朮はオケラともいいます。京都の大晦日の行事、八坂神社で行われる「オケラ参り」では、白朮を加えた火がたかれ、その火を吉兆縄に移し、消えないように回しながら自宅に持ち帰ってかまどの火種にする習わしがあります。

蒼朮(ソウジュツ・ホソバオケラ)

白朮と似た作用を持つ蒼朮。白朮は脾が弱い人に、蒼朮は余分な湿が多い場合にと使い分けます。蒼朮の葉には細かいトゲがあり、さわるとチクチクして痛い!

黄連(オウレン)

黄連解毒湯などでおなじみ、体の余分な熱を取る黄連。セリバオウレンの白い花の咲いた後がたくさん残っていました。黄連は日本の山野の樹下に自生、江戸中期から栽培が始まりました。種をまいて4~5年目で掘りヒゲ根を火で焼き、ワラで磨いて薬用にします。

山茱萸(サンシュユ)

大きさにびっくりした山茱萸の木。11代当主の森野藤助が採薬使に同行したその功績により幕府から最初に下賜された6種類の生薬の一本です。樹齢250年!すごい。貫禄があります。実を生薬として使い、六味丸、八味丸などに入っています。

半夏(ハンゲ・カラスビシャク)

繁殖力が強くどこにでも生えている半夏。へそのような形をした根茎を使用します。農家のおかみさんが帰り道に半夏の根を取って小遣い稼ぎにしたことから「へそくり」という名前になったとか!しかし加工に手間がかかるため、現在の農家ではまったく扱われていないそうです。

附子(ブシ・トリカブト)

トリカブト類は日本には数十種類あり、すべて猛毒。昔は矢毒に使われましたが、韓国歴史ドラマの殺人シーンなどでもよく出てきます。加工してから漢方薬にも使われるれっきとした生薬。きれいな紫色の花を咲かせます。ちなみに附子を飲んで神経麻痺を起こした顔を「ブス」と呼んだのがブスの語源とか。

ユキノシタ

天ぷらにするとおいしい山菜。薬草というよりはおいしい草のイメージですが、腫瘍の解毒やひきつけに効果があるとされます。白い花がかわいい!

五加皮(ゴカヒ・ウコギ)

中国から薬用として持ち込まれ、救荒植物として生垣などによく植えられています。山形のうこぎ飯は郷土料理として有名。薬膳では湿邪と風邪による関節の痛み、むくみ、腰が重だるいなどの症状に使われます。

黄耆(オウギ)

気を補う生薬、黄耆にはキバナオウギとナイモウオウギなどがあります。韓国ドラマの「チャングの誓い」で、チャングムが栽培に成功し、スラッカンに戻れるきっかけとなるのはキバナオウギ。それぐらい、当時の韓国で黄耆が貴重とされていたことがわかるシーンです。

防已(ボウイ・オオツヅラフジ)

オオツヅラフジの根が防已になります。防已黄耆湯でおなじみですね。生えている様子は普通につるにしか見えない!

杜仲(トチュウ)

漢方では内臓を温め老化防止にも使われる杜仲。杜仲の木は害虫が寄り付かないぐらい強く、恐竜時代から存在しているそうです。国産では広島県産が主流。生薬には樹皮が使われますが、杜仲茶には葉が使われることが多いです。

藿香(かっこう・カワミドリ)

独特の香りの藿香は、アロマのパチョリとしてもおなじみ。オリエンタルな香りで、初めて香りを嗅いだ主人は「タイのお寺の匂いがする!」と言っていましたが、仏教行事でも使われます。

お風呂に入れると薬浴になり、湿気を飛ばすとされ、入浴剤にもなっています。

生薬としては胃腸の不調によいので夏かぜによく使われます。中国出身の先生によると、中国では食べないそうですが、韓国では食べるとのこと。私も栽培したくて庭にタネをまいたのですが、まったく芽が出てくれませんでした…。案内してくださった方は「えーー!?そこら中にいっぱい生えるけど!?」とおっしゃっていました。

藤袴(フジバカマ・蘭草)

昔は蘭=藤袴のことで、和歌に出てくる蘭は藤袴をさしているそうです。

ちなみに蝶のアサギマダラが藤袴の蜜を吸うと、毒を身につけ、その毒によって鳥から身を守り、2000km以上も旅をすることができるそうです。

益母草(ヤクモソウ・メハジキ)

益母草はシソ科の薬草。婦人科によく効き、気の巡りをよくしてリラックスによく、産後にもよく使われます。以前テレビで見たのですが、アドベンチャーワールドの産後間もないパンダに益母草を与えていました。パンダも漢方薬か〜!とびっくりしたのを覚えています。

苦参(クジン・クララ)

根をかじったらクラクラするほど苦いのでクララという別名があるほど。体の熱を冷まし、尿の出が悪い時、皮膚疾患に◎。うちの娘のアトピーの薬にも、苦参が入っていたので「本当に皮膚にいいんだ」と実感。とても苦いので、韓国のバラエティではよく罰ゲームとして「苦参茶・コサム茶(고삼차)」として出てきます。BTSも飲んでましたよ!

マタタビ

木天蓼と書きます。猫が好きなだけじゃなかった!マタタビの果実酒はとてもパワーがあり飲むと「また旅に出られる」からマタタビだとか…ちなみに葉っぱが白くなると花が咲くお知らせだそうです。キウイの花にそっくりだな〜!と思ったらそういえばキウイもマタタビ科でした。

森野旧薬園まとめ

幕府の国産薬草計画により、江戸時代には各地に薬草園がありました。しかし西洋医学の普及に伴ってその多くが消滅。その中にあって、森野旧薬園は時を超えて守られてきた貴重な存在です。薬草研究者からは「300年前の自然環境のタイムカプセル」とも言われています。

森野旧薬園には2〜3時間滞在しましたが、すべての見るものが面白く、書ききれなかったことがたくさん。また、開花の時期などが移り変わり、2週間ごとに見える景色が変わるそう。季節を変えて何度も訪れたいところです。

今回私が感じたのが、薬膳を学ぶには、理論の勉強、料理実践はもちろん、フィールドワークも大切だなということ。実際に薬草を見たり、歴史を知ると五感に訴え、視点が変わってとてもよいですね。本草学は薬膳の大切な一部です。とても勉強になるので、またぜひ訪れたいと思います。

  1. 株式会社森野吉野葛本舗
  2. 公式サイト: https://morino-kuzu.com/kyuyaku/
  3. オンラインショップ: https://www.shopmorino-kuzu.com/
  4. 場所:奈良県宇陀市大宇陀上新1880番地
  5. TEL:0745-83-0002
キョウ
もっと全国各地の薬草園や生薬の見学に行ってみたくなりました♪


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